古畑任三郎:風間杜夫「間違われた男」

古畑任三郎:風間杜夫「間違われた男」

古畑任三郎、第2シーズン・第9話、風間杜夫が犯人役の「間違われた男」について。

風間杜夫演じる主人公は、自らの妻と不倫した男を復讐のため殺害し、帰り道で出会ったホテルマンをさらに殺害。証拠を消すためにホテルマンの自宅を訪れた時に運悪く古畑と出会ってしまい、不幸にも「ホテルマンのふり」を演じなければならなくなりました。第1シーズン・第8話「殺人特急」の鹿賀丈史や第1シーズン・第10話の「矛盾だらけの死体」小堺一機、第3シーズン・第9話「追いつめられて」の玉置浩二に類する「古畑に半ばイジメに会う不幸な犯罪者」を風間杜夫が演じています。

シナリオとして、またはトリックとしては、実はこの回の主たる要素ではないように感じています。実際、まるで「この話はトリックが主眼ではないですよー!」と三谷幸喜が自らを茶化すかのように、ドラマ冒頭では風間杜夫演じるサスペンス雑誌の編集長が考案した古典めいて二流な殺人トリックがウヤウヤしく遂行されます。しかし、当然ですがこの回がここからが面白いんですね。特筆すべき点が3個あり、そしてこの3つは古畑任三郎を超人気ドラマにした3つの要素をしっかりとなぞっているように思います。その辺りの僕の感じたところを、読んでいただければなーって思ってます。

風間杜夫という人

風間杜夫は子役としてデビューし、その後自分で劇団を旗揚げしている年季の入った舞台役者です。古くは「スチュワーデス物語」などのヒット作で(僕は当時、片平なぎさの悪役っぷりにハラワタ煮えくり返りながら見てました)テレビドラマでも頭角を表していますよね。

凛々しい表情。厳しくストイックな役者魂。そんなものが見え隠れする風間杜夫の魅力は、その厳しさとは裏腹な「オッサン体型」にあるのではないかと個人的に思います。ファンの方や本人には申し訳ないのですが…あの役者としての上手さと、短身(とはいえ、171cmあるそうですが)・中年体型。この辺りのアンバランスさというか、役者として「木村拓哉よりも演技は上手いけど、木村拓哉みたいにはなれない」感じというか、そんな「不完全な人間としての風間杜夫」が堪らなく魅力です。とりわけ、その顔ぶりは「バカがつくほどの真面目さ」を感じさせます。完璧に物事をやろうとするタイプ。でも、そんな人が事も有ろうにか「他人のフリをして、しかもその他人の事を十分に理解していないものだから、古畑の前で恥ずかしいヘマをしてしまう」役を演じるわけです。さらに言えば、真面目な人ほど不運さが際だつというか…笑えてしまうんですね。やるべきことを完璧にこなそうとすればするほど、ボロが出て笑えてしまう。

制作者サイドは、脚本のコンセプトである「他人のフリをしなくちゃいけない不運な容疑者」にピッタリの役として、風間杜夫を選んでいるわけですね。少しここで、ドラマ冒頭の古畑の語り(専門用語ではアヴァンタイトルというようです)を引用してみますね、この配役と物語のコンセプトは如実に現されています。

えー、何をやってもツイてない日ってありますよね。しかしモノは考えようで、一生の間に経験するツキっていうのは分量が決まっているっていいます。つまり、大きいところでツイてる人は、んー、その分細かいところでツイてない。だから決してくじけないようにして下さい。
ただですねー、希に、大きなツキが巡ってくる前に人生が終わってしまう、言わば、本当にツイてない人もいるそうで。願わくば、あなたがそうでない事を祈って。
この通りです。不運が似合う真面目な容疑者という犯人像にうってつけの風間杜夫を当てた・・・この配役こそが、古畑任三郎の人気の第一の理由でしょう。物語の内側だけでなく、配役という外側の部分から既に面白い、これぞ古畑任三郎の真骨頂ではないでしょうか。

そんな配役を受けた風間杜夫、古畑任三郎との対決でも目につくのは演技の上手さです。特に舞台役者独特の間合いをテレビドラマであることにも関係なくバシバシ入れてくるのがうれしい。ただでさえ「ホテルマンであるように演じている人間を演じる」という難しい役どころを軽々と演じつつ、プラスアルファで自らの個性をソツ無く入れてくる。すげーですよ、本当。

いよいよドラマも最終局面、古畑にすべてを見破られ、共にパトカーの後部座席に並んで座り「何か他に質問はありますか?」と古畑に聞かれた場面。すっかり自らの嘘を見通されていた事に諦観たっぷりで「ない」と言うところ、普通テレビドラマに慣れた役者なら古畑の台詞の終わりを飲み込んで、溜めて溜めて勿体ぶって「ない!」と言っちゃうんです、大抵は。その方がテレビ的で、分かりやすいから。でも、風間杜夫は何ともアッサリ「ない。」と古畑の台詞にかぶせてちゃうぐらいの勢いで吐き捨てる。「テレビドラマのキャラクターとしての言葉」ではなく、「役になりきって、人間を演じている」感じが滲んでいて、役者としてのプライドを感じます。ザ・役者って感じで、めちゃくちゃカッコイイ。この演技力をゴールデンタイムで見れたのも、古畑任三郎の魅力です。(もう一つだけ付け加えると、ホテルマン本人を演じる小野武彦…踊る大走査線でもおなじみですが、この人もすごい演技をしてます。上手い!)

さて、風間杜夫の面目躍如であるところの「ない!」の直後に、もう一つの素晴らしいところが出て来ます。

三谷幸喜の品の良さ

このドラマの脚本家である三谷幸喜が作ったもの全般に言えることですが、とにかく「ドラマとして・演劇としての品が良い」と僕は思います。推理モノとしての古畑任三郎も、脈々と続く推理モノの歴史上に存在した美点を保ちながら、新しいアプローチをしているように思います。

ホテルマンを演じていることを古畑に看破され途方に暮れる風間杜夫に、最後の最後、古畑はひとつ質問をします。

「ところで、あなた一体誰なんですか?」

古畑は目の前にいる人間が「別人を演じている」ことを完璧に証明しました。でもそんな古畑でも、目の前の人間が「じゃあ本当のところ、誰なのか?」は分からないわけです。この物語の根幹を成す「他人を演じる容疑者」というコンセプトに対する気持ちの良い一言を、ちゃーんと最後に入れてくる。この古畑の一言で、ドラマはキッチリ終えられます。流しっぱなしの伏線や、物語の本線から外れた関係ないサイドストーリーが一切無く、ドラマ冒頭から最後までがすべて1つに閉じられる。この辺りが三谷幸喜の品の良さだと思います。「世界観」なんて言葉でいい加減な演出ばかりのドラマが多い中で、これだけ「脚本として面白い」を大事にしている作家は貴重だなぁと思わせてくれます。

古畑任三郎・人気のエッセンス

僕が思う「古畑任三郎の人気のエッセンス」を、改めてまとめてみます。

  • 物語のコンセプトと、推理モノの脚本としての品の良さの両立
  • 脚本のコンセプトにピッタリ呼応した配役
  • 役者の個性や演技力の素晴らしさ

こうして見ると、やはり脚本のコンセプトがすべてを決めている…というか、コンセプトが末端にまで行き渡っているからこそ、作品としての一体感が出てくるのだなぁと思う次第です。