今回採り上げるのは加藤治子が犯人役を演じ上げた第2シーズン・第5話「偽善の報酬」です。名演が光ります。
主人公は妙齢の女性脚本家。海辺の瀟洒なたたずまいの自宅で脚本を書いて暮らす売れっ子です。同居人は事務所の会計や家事を取り仕切る妹。独身のまま晩年を迎えつつある姉妹の二人暮らしは、身近であるが故の「性格の不一致」でいつも口論の耐えない状況です。そんな中、慈善事業に拠出したためにお金が足りず、主人公が入れ込む若い俳優との旅行資金が足りなくなってしまった主人公は、妹を殺害することを決意します。
しかしながら主人公は高齢で、殺害に使う凶器は扱いやすいものでなければならず、かつ凶器を持ち出すことも出来ない状況。力がなくても殺傷能力があり、かつ警察の家宅捜索でも発見されない究極の凶器とは何か? この問題を古畑が解き明かす…というシナリオになってます。
ギクリとする演技
今回のポイントはやはり「演技の上手さ」です。主人公は加藤治子、その妹は江沢萌子が演じていますが、この二人「本当に姉妹なんじゃないの?」というぐらいの名演を見せます。冒頭での姉妹の会話、妹殺しを決意するシーンが強烈です。
「さっさと死んじまえばいいのに!」
「あんたが死になさい。」
向田邦子の「阿修羅のごとく」に通ずるような女性同士の辛辣なやりとりを見ると、ドラマだと分かっててもギクリとしてしまいます。二人ともメチャクチャ上手いです。この「キツイ女性像」を物語の最後まで加藤治子は演じきりますが、最後の最後に美しい場面を迎えることになります。
古畑にすべてを詳らかにされた主人公は、自らの罪を認めた上で命乞いをします。見過ごしてくれと古畑に迫ります。しかしそこで古畑は固辞。かねてから脚本家のファンだった古畑は、「先生の作品の登場人物はみないつも堂々としていた。先生もそうあってほしい」と告げます。この一言で意を決した主人公に対し、古畑は最後にひとつ問いかけます。
「先生、もしこれがドラマでしたら、どんな台詞で幕を閉じますか?」
「犯人の台詞? …そうねえ、何にも言わせないわね。今のドラマは、しゃべりすぎよ。人はね、ここぞという時には、なんにも言わないの。」
この最後の台詞もかっこ良いですよねー。どれだけ他人の人生を架空で作り上げることができる売れっ子脚本家でも、自分の人生の決定的な場面では「何も言わせるべきではない」という。売れっ子脚本家がたどり着いた、人生を見つめる目とその無常さが胸を突きます。
そしてその直後、加藤治子が古畑に微笑むシーンが、あまりにも美しい。古畑や主人公が好きな古き名作映画から抜け出て来たかのような、格調高さ。美しくも、諦めと許しが交錯した儚い微笑。重ねた年齢も一瞬どこかに消え失せる美しさ。そして鳴り響く古畑任三郎のテーマソング。コレは…しびれますよ(笑) 加藤治子という役者の上手さと美しさが、「美しい故のトゲ」と表裏一体で見事に描き出されている45分間。推理モノにおける古典的な題材である「究極の凶器」というテーマもキリッと描かれたこの回の古畑任三郎、是非見て欲しいなって思います。
凶器は当然に
ちなみに、凶器は上の文章の中に隠されています。タイトルや主人公の特徴にピッタリな、皮肉が効いたモノが凶器になっています。こちらも是非、本編でご確認ください。ヒントはこの記事の写真、この中に「凶器」が写ってます。さて、何でしょう?