古畑任三郎:鈴木保奈美「ニューヨークでの出来事」

第2シーズン第10話、鈴木保奈美の凛とした演技が光る「ニューヨークでの出来事」。この回は、古畑は事件現場に足を踏み入れることなく事件を解決してしまうという異色の構成です。

完璧な美女、対、アームチェア・ディテクティブ

アメリカを訪れた古畑と今泉。深夜の高速バスで偶然知り合った日本人女性「のり子・ケンドール」と共に長く退屈なバスの時間を過ごしますが、彼女は古畑が今泉が刑事であることを知って、とある告白をします。「私、完全犯罪したことあるんですよ」。のり子・ケンドールの挑戦を受けた古畑は、彼女の話だけで事件をーー浮気した小説家の亭主を殺害した事件の真相を推理します。なんと凶器は毒が入った今川焼…乗客もまばらの車内で、古畑とのり子の静かな頭脳戦がはじまります。

彼女は言います。

「私、やったことあるんですよ」
「何をですか?」
「完全犯罪」
「どんな悪さをしたんですか?」
「人を殺したの」

息を飲む古畑。

「人をお殺しになった…」
「うそ。私の友達の話」

すべてを察し(当然のことながら、完全犯罪を犯したのは彼女の友達ではなく彼女のしたことだという事を察し)、ニヤリと笑う古畑。彼女の完全犯罪を暴けるかどうか、話だけで推理することとなった二人。

「良い暇つぶしになりません?」

古畑は登場人物をトランプになぞらえ、雑誌の上に置いた登場人物のトランプを指先で動かしながら、完全犯罪の細部が活き活きと語られます。のり子・ケンドールはハートのクイーン、彼女に殺された亭主はスペードのキング・・・物語はあくまで優雅に、そして(皮肉としての)暇つぶしとして、その幕を開けるのです。

さて。鈴木保奈美の代表作と言えばやはり、ドラマ『東京ラブストーリー』、「カーンチ、セックスしよ?」の台詞に度肝を抜かれた方も多いと聞いています(実は僕はこのドラマを見ていないのですが)。非の打ち所のない美人だからこそ生まれる浮世離れした雰囲気や、キリリとした眉や目から連想される意思の強さと完璧主義者的な雰囲気は、『東京ラブストーリー』では前述の台詞のような形で表されますが、今回の古畑任三郎の劇中では以下のような形で配役に生かされています。

  • アメリカ人作家と結婚して渡米するという来歴
  • 亭主に浮気されかつその内容を小説として出版されるという極めて厳しい不幸
  • 殺人や裁判をくぐりぬける完璧さ・冷酷さ

それに加え、演技だってなかなかのものです。夫殺しの一件で全米にその姿をさらすこととなった彼女は、衆目を避けたいという強い気持ちを持ち、それ故に大きく黒いサングラスをかけています。そんな状況の中、ドライブインのコーヒーショップに入る場面があります。目を覆う大きなサングラス…そんな「目で演技で出来ない」状況において、鈴木保奈美は「人前に出るというリスクを冒していることから生まれる極度の緊張」を表すため、なんと「喉」で演技をします。唾を飲む、首に走るスジをこわばらせる、首の後ろを上に引っ張り上げるように延ばす…この辺り、さりげない分だけ暗示的に視聴者に響いたのではないかと思います。もし機会があったら、是非注意してご覧下さい。

このように、その美しさと演技力で配役をこなす鈴木保奈美ですが、彼女の一本スジの通った美しさとでも言うべき特徴が最大限に生かされるポイントとなるのは、ただ「みてくれ」だけの人物ではないと思わせ、内面に独自の世界・考えかたを持っているように視聴者に連想させる神秘性だと僕は思います。内面を連想させなければ、バスの中の一夜が犯人の意識をどう変えたか? に対して観客が思いを巡らせられません。そこがこの物語の(ミステリ以外の)最大のポイントになります。

古畑の自慢気な事件の解決談を訊くことで、のり子・ケンドールはいたずらめいた心が突き動かされたのか、彼女の犯した完全犯罪を話した上で「解いてみろ」と挑戦しました。それはただ自尊心がくすぐられただけかもしれませんが、結果として古畑に看破された彼女の心境はガラリと変わります。広大なアメリカ、深夜の雨、ハイウェイを進んでいく深夜バスの中で、彼女はこれまでひた隠しにしていた本心を明かします。

「でもね、古畑さん。彼女は間違ってた。結局罰を受けたんです。何より大きな罰を。主人の死後に出版された本は大ベストセラー。今では純愛小説のバイブルよ。今でも印税が入ってくる。出版社の方の話だと、あと10年は売れ続けるって。どんな気持ちか分かります? 私、夫の不倫の本の印税で生き延びてるんです。見たでしょう? 私はどこへ言ったって笑いもの。そして本の中では、夫は永久に愛人と愛を語り合ってるんです。こんな罰があるかしら? こんな事なら、あなたに事件を担当してほしかったわ」

「・・・完全犯罪なんて、するもんじゃありません。・・・えー、『彼女』にお会いになったら、そう伝えてあげてください」

そう言って微笑んだ古畑と彼女が乗り込むバスの外では、もう空は白み始めていました。

事件現場に赴く事なく、話を聞くだけで事件を解決する探偵やその物語のことを「アームチェアーデテクティブ(安楽椅子探偵)」と呼びます。古畑は安楽椅子ならぬバスのシートに腰掛けたまま、拳銃も何も無しに古畑は事件の真実を暴きました。しかし、あくまでそれは真実を明らかにしただけで、のり子・ケンドールの裁判は既に結審しています。現実世界では、何の変化もありません。彼女が罰せられることも、真実が白日の下にさらされることも、永久にありません。では古畑のしたことは、意味のない事だったのでしょうか?

いや、そうではありません。意味は確かにありました。その意味は、鈴木保奈美演じる犯人の心の中の変化として顕れています。ニューヨークに到着し、バスターミナルで見送る古畑に何も言わず立ち去るのり子・ケンドールは、素顔を隠していたサングラスを外し、誰に向けるでもなく微笑みを浮かべます。昨日までは、完全犯罪を犯した彼女の本当の気持ちを知る者はこの世界に誰もいませんでした。しかし、一夜の旅を終えた今日は違います。古畑は彼女が企てた悪夢のすべてを看破し、真実を明らかにしました。その交歓とでも言うべきコミュニケーションを終えた後の彼女は、今自分を取り巻いている現状を理解し、受け入れようという気持ちにようやくなれたことが、サングラスを取るという行動に表れた。

綿密な推理の上で真実を知ったところで、現実はちっとも変わらないけれど、人の内側に広がる世界は宿命的に変わっている。世界は一切姿を変えてはいないけれど、少しだけ輝きが異なっている。そんなニヒルでハードボイルドな体験を、彼女は一夜のバスの旅を経て経験したんですね。

古畑の推理は現実の世界自体は変える力は無いけれど、人の心の世界を動かす力を持っていました。アームチェアーデテクティブというモチーフを採用した脚本家・三谷幸喜は、過去の推理小説の白眉な名作からハードボイルド的な脚色を拾い上げながら、あくまで気品ある優雅な物語を紡ぎました。

古畑任三郎という作品は、巧妙な推理ドラマである一方で、あくまで人と人とが触れあい、心が動く様子を捉えた物語でもあるのです。

どうやって今川焼で人を殺せるのか?

あ、言い忘れてましたけど、「今川焼き」の謎。彼女は法廷でこう証言しました(つまり嘘)。

  • 夫婦で今川焼きを食べることになった。
  • 亭主が半分に割って、半分を彼女に渡し、半分ずつ食べた。
  • 亭主のほうにだけ毒が入っていた。

今川焼は彼女が買ってきたものだったため、法廷では極めて厳しい立場に立たされることになりましたが、結局はトリックがわからずに「亭主の自殺」として事件は処理されました。確かにおかしいですよね…だって、まん丸の今川焼きを半分に割るのなら、今川焼きに部分的に毒が入っていたとしても、どちらが毒の入っている方を食べる事になるのか分かりませんものね。彼女が今川焼で亭主を殺すのなら、半分に割られた時に確実に毒入りの部分を亭主に食べさせなければいけません。言い換えれば、毒のない半分を彼女に渡させなければ…でも、そんなこと、真ん丸の今川焼では出来そうにありません。

さて、彼女はどうやって亭主を殺したのか…?

非常に優美なトリックです。しかも、彼女は見事に亭主の行動パターンを読み切って、殺人を完遂します。よりによって、彼女に殺人を完遂させたのは、亭主自身のやさしさだったのですが…この辺り、是非本編をご覧になっていただければと思います。

以下、僕の勝手な推測+余計な一言です。三谷幸喜さんは、最初に「相手が自分に対して優しく接するからこそ可能な殺人トリック」を思いついたのか、それとも「鈴木保奈美のパーフェクトさという個性は、相手の優しさを利用するというキャラクターに転化できるな…」と思いついたのか、どっちなのでしょう? いずれにせよ、素晴らしい配役とトリックです。僕は企業や組織さんと企画を考える時、目の前にいる皆さんのキャラクターから企画を考えようとする癖のようなものがありまして、実は三谷幸喜さんのアテ書きの手法と企画コンサルティグの手法には共通点があるのかも?と思ったりします。