古畑任三郎:堺正章「動く死体」

古畑任三郎・第1シーズン第2話、まだ初々しい古畑任三郎が日本を代表するタレント堺正章に挑む「動く死体」です。

堺正章演じる六代目中村右近は歌舞伎役者。かつてもみ消した交通事故を公表しようとする劇場の警備員を楽屋で撲殺し、舞台の天井から落ちて死んだように偽装します。一見すると事故死ながら、古畑は現場に残された理にかなわない点を指摘しつつ、堺正章を追い詰めていきます。楽屋から舞台まで死体を運んだのは、舞台の地下から舞台へとせり上がる昇降装置。古畑は「舞台へとせり上げられたままに放置された昇降装置」から、どんなロジックを導いて堺正章を自白へと追い込むのでしょうか。

堺正章という究極の「器用貧乏」

古畑任三郎シリーズに共通の特徴として、配役の上手さが挙げられると思います。歌舞伎役者として舞台上で演じ、付き人を殺害し、伝統芸能に携わる人たち独特の雰囲気を醸しだし、古畑に翻弄され、激昂し、自白する。演技と共に器用さが要求される役所を、堺正章はピッタリと演じきっています。堺正章は喜劇俳優である堺駿二の子に生まれ、子役で映画デビュー、グループサウンズの代表・スパイダーズでメインボーカル、一世を風靡したドラマ『西遊記』の主役・・・ミュージシャン、バラエティー、俳優、司会業と極めて幅広い活躍を続けている元祖マルチタレントです。最近だと新春かくし芸大会の第一人者としても知られていますよね。とにもかくにも、器用な人な訳です。だからこそ、歌舞伎役者としても魅せる演技が出来てしまうわけです、恐るべき才能と言うべきでしょう。

…しかしながら、何故でしょうか、どこかしら堺正章には軽い雰囲気と言うか、マルチタレントであるが故の宿命的な平板な印象…いわゆる「器用貧乏」的な側面が顔を覗かせる時があることも否めません。最終的に女性を惚れさせたり男性に憧れさせたりする「人間的な魅力」が、器用さによってかき消されてしまっているような印象を、かつての僕は持っていました。

しかし、古畑任三郎における堺正章の演技が器用さを突き抜ける瞬間が、2回ほどあります。

ひとつめ。古畑が注目するポイントは「懐中電灯」。夜の暗い劇場の中で舞台の上に上った警備員なら持っていて当たり前の懐中電灯が、現場に無い。そこで古畑は堺正章に「これは殺人事件である。懐中電灯が見つかれば、そこが殺害現場である可能性が高い」と告げます。これはもちろんカマで、既にこの時点で古畑は堺正章を疑っていて、しかも懐中電灯は別の場所で既に見つかっています。では古畑の狙いは何か? 古畑は、堺正章の楽屋に懐中電灯を置き、それを堺正章に見つけさせ、反応を見ようとしているわけです。堺正章が犯人ならば、部屋に残された懐中電灯を隠そうと画策するはずだと見越した古畑の、実に意地悪な策略です。

見事に策略に引っかかった堺正章、とぼけた顔して古畑が楽屋を出て行った直後、台所の引き出しをガシャンと叩いて、顔を真っ赤にして悔しがります。西遊記で孫悟空を演じた堺正章ならではの顔の赤さ…という訳ではないでしょうが、ここの演技はスゴイですよ。

「あの野郎…!!」

息になるか声になるかのギリギリで、体から絞り出す声であるにも関わらず、歌舞伎役者の雰囲気が残った東京的な粋なイントネーション。この場面、上手い役者よりも上手いんじゃないかと思わせるような、強烈な印象を与えてくれます。

ふたつめ。上に挙げた極めて陰湿な古畑の揺さぶりに耐えながらも、最後の最後…古畑に犯人だと断定された後、いよいよ堺正章がキレる瞬間が来ます。マルチタレントの堺正章が絶対に見せてはいけないこと…怒る感情を人前に出す場面に、脚本家である三谷幸喜が堺正章に見いだした「器用な男の人生の価値」が見て取れるように思われるんです。

古畑によって帰ることを許されず怒り心頭の堺正章に対し、古畑は「殺したのはあなただ」と告げます。その上、犯行について話がしたいので、昇降装置を使って舞台の上に上がろうと言う。まわりくどい説明に業を煮やした堺正章は、いよいよ我慢の限界で、こう凄むんです。

堺正章「証拠があるんだったら今すぐ見せてみろ。納得いくような証拠だったらアタシだって男だ、潔く認めてやるよ…犯人だったらだよ。回りくどいマネ、無しにしませんか。しまいにゃアタシだって、堪忍袋の緒、ゆるめますよ。」

古畑「…とりあえず…上へ。」

堺正章「かなわねぇな、もう…」

この場面、メチャクチャカッコイイです。キレる瀬戸際のひとつひとつの言葉が重く、かつ素晴らしいスピード感。芸能を生業にする者が持つ「粋」の感覚が、言葉や表情の端々からあふれ出てくる堺正章の名演、是非見て欲しいと思います。

さらに注目すべきは、警察に自らが殺人犯であると問い詰められるギリギリの精神状態の中ででも、三谷幸喜は堺正章に「かっこよい台詞を言い続け、堪えること」を強要している点でしょう。東京生まれの役者の子。マルチタレントと器用貧乏の表裏一体を生きる堺正章の奥底にある彼の本質は、こんな状況でもグッと堪えて格好つけて見せる「粋」なのだと見つけているからこそ、三谷幸喜はこの台詞を選んだのではないかと思われます。ついでに言えば、スパイダースのヒット曲「バンバンバン」の歌詞『あいつにゃ とっても かなわない』も呼び起こさせる辺りが、三谷幸喜一流の粋なのかも? と考えるのは、邪推でしょうか。

最大の謎、最大の伏線

今回の古畑任三郎を推理モノとして眺めたとき、やはり美しい構造を伴っています。物語の最初に触れ、最後に明かされる最大の伏線は何かというと…「なぜ堺正章は一度犯行現場に戻るという危険を冒してまで、茶漬けを食べたか?」という点になると思います。

なぜ茶漬けを食べたのか。それは、「いかに堺正章は勉強熱心の努力家か」を示す伏線であるということです。三谷幸喜が堺正章に与えた最大の伏線の謎は、三谷幸喜が普段から堺正章から感じ取っていた器用さや努力家といった性格、それらを包み隠して笑ってみせる「粋」に裏打ちされているんだと僕は思います。三谷幸喜からすれば、堺正章なら絶対に茶漬けを食べるに違いない、食べないはずがないのでしょう。だからこそ、茶漬けを食べた真の理由を告げた堺正章と聞かされた古畑は、共に笑い、互いを尊敬する間柄になり得たのだろうと、僕には思われるんです。

プロダクトの向こうへ

企画を考えるという生業を持つ僕にとってライフワークになっているのが、目の前にあるプロダクトにはどんな想いが込められているか、もしくはどんなデザイン・意図が加えられた結果として今の形になっているのかについて推測するという行為です。その行為は、テレパシーを試みることに似ていて、プロダクトの向こうにいる人の心を掴みたいともがく訳です。でも、時折プロダクトが勝手に作り手の心をありありと見せてくれるというしあわせな現象が起きます。古畑任三郎は、そんな現象をたびたび体験させてくれるコンテンツだと感じています。